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終わりのない幻影






2、

 天候でさえ、帳尻あわせをするらしい。
 今年は暖冬だ、などと言っていたのに、最近よく雪が降る。まあ、空梅雨だと言われる時でも、最終的には年間降水量が平年並みに落ち着くのと同じだろう。結局、暖かい冬にもとんでもないく寒い日と言うのは存在するのだ。
 どうやら昨夜は雪だったらしい。車の上にうっすらと積もった雪を見やり、和馬は嘆息した。道路にはもちろん積もってなどいないし、凍りついていたフロントガラスも、日にあたって融けかけていた。
 事務所には暖房設備もあるし、博貴にはちゃんと寝袋と毛布を提供してきた。それほど心配することなどないのだろうが、和馬は普段ならば絶対に出てこない時間に事務所に到着していた。
 鍵を開け、室内を覗きこむと、まだそこは薄暗かった。どうやらまだブラインドが下がりっぱなしのようだ。
「まだ寝てるのか」
 呟いた和馬は、博貴がベットがわりに使ったであろうソファーに視線を走らせた。案の定、そこには蓑虫と化した博貴が縮こまって眠っていた。
 相当寒かったのだろう。窓が結露して凍っている。
 和馬は、博貴を起こさないようにデスクにつくと、その上にまとめられている資料を見て目を細めた。かなりの量だ。資料を集めたであろう人物を振りかえると、ソファーの前の机にあるコピーしてきたらしい資料が目に入った。
「こいつ、一体何時までやってたんだ?」
 昨日、和馬が事務所を後にしたのは、何時だっただろう。6時頃、一旦事務所に戻ってきた博貴とホカ弁を食べて、寝袋だのなんだのを用意してからだから、大方7時くらいだったか。
 和馬は昨日博貴に貸していたノートパソコンの電源を入れると、うんと伸びをした。そして、立ちあがるまでの間、詰まれている紙の山をぱらぱらと見やる。
 おもに、北アルプス周辺の火山活動と地形に関する資料だった。その中のいくつかには付箋がついていて、アンダーラインが引いてある。
「よくもまあ、この短時間に」
 それも、かなり的を射た資料ばかり。これも一種の才能と言うやつだろうか。
 和馬は、感心しつつ、立ちあがったパソコンに向かうと、昨日事務所あてに送っておいたメールを読みこんだ。そして、添付ファイルを資料用のフォルダに取りこもうとした時、見覚えの無いファイルがいくつかあることに気がついた。どうやら、これも博貴が集めてきた資料らしい。
「マジかよ。俺がやるより、早いんじゃないか?」
 コンピュータ技術の発展で、誰もが情報を早く安く入手できるようになった。その反面、情報の氾濫に悩まされることも多くなったのも事実である。情報とは、それを受けるものにとって意味のある信号のことだけを言う。それを的確に引き出し活用する能力は、多かれ少なかれ誰もが持っている。けれど、博貴のそれは通常の高校生の域を越えているように思えた。
 和馬は頬杖を付きながら、パソコンの画面をスクロールさせた。
 しばらく画面を斜め読みしていたが、薄暗い部屋での作業はさすがに目が疲れる。和馬はディスプレイから目を離すと、眼鏡を外して伸びをした。それほど目が良いわけではないのだが、普段はまったく眼鏡などかけない為、余計に目が疲れる。
「あれ? 和馬さん」
「ああ、起きたのか」
 和馬はくるりっと椅子を回転させて、博貴に向き直った。博貴は、蓑虫のまま起きあがると、くきくきっと首を鳴らした。そして大きなあくびをしながら、思い出したように口を開いた。
「あ、ひりょう」
 多分、「資料」と言いたかったのだろう。和馬はそんな博貴に、肩を竦た。
「読ませてもらったよ。まだ途中だけどな」
「なんか、分かった?」
「……まだだ。まあ、大方の検討はついたがな」
「この、火山活動ってやつ?」
 和馬が特に何も言う前に、博貴は、自分の目の前にあった一枚の紙をつまんで言った。博貴のその言葉に、驚きを隠せないまま和馬はゆっくりと頷いた。同じ資料を見ているのだ。同じような結論にたどり着いてもおかしくは無い。だが、博貴の頭の回転の速さ、飲みこみの良さは、余分な説明をしなくて良い分、和馬を楽にした。
「ああ。今んとこ、それが一番可能性が高いと思う」
 和馬は、博貴の手からその資料を取り上げて、それに目を走らせた。それは地質調査所研究官の、北アルプスの火山に関する講演資料だった。
「博貴、ちょっと地図を見せてくれるか?」
 和馬の言葉に、博貴は寝袋から這い出した。外の空気が寒かったのか、身震いをした博貴は、上からかけていた毛布を肩からかぶった。そして、昨日本屋で購入してきた長野県の地図を取り出し、机いっぱいに広げた。
「ここが滝川村だよ」
 博貴は、安曇よりも、すこし岐阜県よりのあたりを指差した。
 講演資料に添付されている火山分布図を取り出した和馬は、両方の地図を見比べるためにそこに置いた。
 南北に連なる北アルプスは、同じように火山も南北に連なっており、乗鞍火山帯と呼ばれている。立山、焼岳、乗鞍、御嶽などの火山がそれにあたるのだが、滝川村は焼岳のふもとにあった。
 現在の焼岳は噴気活動のみで、なりを顰めているものの、ときどき群発地震を起こしたり、水蒸気爆発を起こしたりはしているとそこには書かれていた。一番最近の噴火は、一九六三年。その前の噴火はちょうど五十年ほど前の一九一五年だった。
「焼岳からは、結構、距離があるんだな」
「ああ。ちょっと離れてる。直接は噴火の影響は受けないって距離かな」
「焼岳の噴火は五十年周期……か」
「そうなんだよな。俺も調べてて始めて知ったもん。地元じゃ、誰もそんなこと言わなかったし。自分達に直接被害があるわけじゃないからさ」
 その博貴の言葉に、和馬はうーんっと唸り声を上げた。五十年に一度と言われる儀式と、五十年周期で噴火を繰り返す焼岳。時期的にもちょうど重なっている。が、それらがどう絡んで来るかとなると――。
「そのセンだと思うんだけど、まだ何かが足りない」
「まだ、資料足りないのか?」
 すぐにでも資料を探しに行きかねない勢いの博貴に、和馬はゆっくりと首を横に振った。
「いや、足りないのは資料じゃない。生きた情報だ」
 言った和馬はおもむろに立ち上がると、コードレスの電話に手を伸ばした。



 しばしのコールの後、和馬はゆっくりと言った。
「あ、澤村さんのお宅ですか?」
「ちょっ、和馬さん!」
 いきなり和馬の口から出た言葉に、博貴は焦って口を開いた。そんな博貴を視線で制して、和馬は続けた。
「麻生と申しますが、綾香さんはご在宅でしょうか」
『あ、麻生さん、私です!』
 勢いよく発せられたその声は、綾香のものだった。和馬はほっとしたように、肩をなでおろした。あの依頼が、綾香の独断なのか、澤村家の総意なのか、その辺の確認が取れていないため、あまり綾香以外の人間と話をしたくなかったのだ。
 和馬は余分な事はなにも言わず、ただ結論だけを口にした。
「弟さん、見つかりましたよ」
『え? もう見つかったんですか?』
 信じられないと言うように、綾香が言った。和馬に依頼をしたのはつい昨日のことだ。しかも、見つかるかどうかは分からないと釘を刺されて帰ってきたのだ。なのに、昨日の今日で見つかるなど、誰が想像するだろう。なんとも、都合の良すぎる話だ。
「はい。ですが、ご本人が鍵を渡すのは嫌だと言われるので」
 綾香の驚きをよそに、和馬は淡々と言った。和馬のその言葉に、博貴は「なんだって?」と非難の声を上げた。博貴は一度もそんなことは言っていない。第一、鍵は既に博貴の手中では無く、和馬のもとにあるのだ。
 和馬は指を立てて「しっ」と言うと、それ書けた気を電話に戻した。そんな二人のやり取りなど聞こえていないのか、綾香はぽつりっと言った。
『そう……ですか』
 電話口でふうっと溜息をついた綾香の、諦めに似たその反応。
『今、博貴はそちらにいるんですか?』
「ええ。それで、ご相談があるんですが」
『なんでしょうか』
「弟さんも、そちらに一緒に連れていってもいいでしょうか。それなら、鍵を渡しても良いと言っているんですが」
 しばしの沈黙があって、綾香は再度口を開いた。
『――分かりました。麻生さんには、大変ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします』
「いえ、仕事ですから」
『あの……。博貴は、何か言ってましたか?』
「何かというと?」
 和馬の問いかけに、綾香は言葉を詰まらせた。
『……いえ、なんでもありません』
「澤村さん?」
『麻生さん、一つお願いしても良いですか?』
「なんですか?」
『儀式が終わるまで、こちらに滞在して戴けないでしょうか』
「いいですよ。依頼の一貫ということでお受けします。では、これからそちらに向かいますので、よろしくお願いします」
 言った和馬は、ゆっくりと受話器を置いた。そして、博貴を見やるとにんまりと笑みを浮かべた。そんな和馬に、博貴は面白くないと言うように口を尖らせた。
「俺、鍵渡さないとも、帰らないとも言ってないけど?」
「お前の本心を代弁してやっただけだよ」
「なんだよ、それ」
 不満げに言った博貴に、和馬は軽く肩を竦めて見せた。そして、ぽんっと博貴の頭を叩くと言った。
「もう、引けないからな。協力しろよ」
「――しゃーないな」
 がしがしっと頭を掻くと、博貴は離れがたい暖かい毛布を自ら剥ぎ取った。
「で、電車? 車?」
 もうそろそろ、十時になる。どちらにしても、早く移動をしないと日が暮れてしまう。
「車だよ。ちょっと持って行きたい機材があるから」
「機材?」
「ああ」
 短く答えた和馬に、博貴は肩からずり落ちる毛布をもう一度かぶりなおした。
「ふ〜ん。で、なんで現場に乗りこむ気になったの?」
「面白そうだから」
「……って、和馬さん」
「第一、博貴の要望に答えるなら、現場まで行かなけりゃ、無理だろ?」
「まあ、そうだけど」
「ほれ、早いとこその毛布から出て支度しろ。それとも、お前だけ電車で帰るか?」
 そんな和馬の言葉に、博貴は慌てて寝袋から抜け出した。和馬はそれを見やり、ゆっくりと立ちあがった。
 そして、ブラインドをちょいっと広げると、外の様子をみやった。車の上の雪はもうほとんど溶けていた。が、これから向かう場所は、それはもう間違いなく世間は白いのだろう。
 ウインター・スポーツに縁のない和馬にとって、雪などというものは厄介なもの意外の何者でもない。仕事とはいえ、何故この時期に長野になど――。
 しかも、自分から首を突っ込んでしまった感は否めない
「はあ」
「和馬さん、どうかした?」
「いや、別になんでもない。それより、荷物を運ぶの手伝ってくれ」
「荷物?」
 毛布をきれいに畳んでいた博貴は、和馬の言葉に首を傾げた。和馬はこくりと頷くと、戸棚からなにやら機材を取り出して、それらをケースの中に取り込んだ。
 そして、ノートパソコンをソフトケースの中に入れると、山のような資料を一つにまとめた。
「博貴、悪いけどこれ持ってってくれるか?」
 パソコンと資料を手に持った和馬は、機材の入ったケースを指差して言った。
「なにこれ」
「さあ。なんだろうな」
 くすりっと笑って言った和馬は、不満そうに口を尖らせた博貴には目もくれず、事務所を出ていこうとする。そんな和馬に博貴は慌ててそのケースをひっつかみ、和馬の後に続いた。




















「しかし、寒いな」
 車を降りた和馬は、吐いた息の白さに思わずそう呟いた。
 事務所を出て、約四時間がすぎ、いつのまにか長野の山奥である。
 雪は、これでもか、と言わんばかりにその存在を主張しており、必然的に気温も低い。けれど、この、どこを見ても白いという環境が、視覚的にも寒さを増しているような気がする。
「……」
「博貴?」
 高速を降りたあたりから、急に口数の減ってきた博貴は、自宅の玄関先まで来て、更に静かになっていた。
「おい、なにをいまさら躊躇してるんだ」
 意地の悪い笑みを浮かべながら言った和馬に、博貴はむっとしたように和馬を下から睨めつけた。
「和馬さん、俺いじめて面白い?」
「まあ、な」
「ったく、いい歳して何言ってんだよ」
 大袈裟に溜息をついた博貴は、両手を軽く上げて肩を竦めた。その博貴の言葉に、和馬は実に不本意そうにぶつついた。
「……そう、かわらんだろうが」
「なんかいちいち、年寄りくさいんだよな。和馬さんってさ」
 その言葉に、和馬はむっとしながらインターフォンを押した。
「わ、ちょっと、タンマ!」
「もう遅い」
 にやりっと笑みを浮かべた和馬に、博貴はチッと舌打ちをした。と、すかさず「はーい。どちらさま」と言う声が、家の奥から飛んできた。
 その声を聞いた瞬間、回れ右をして逃げようとした博貴の襟首を、和馬がむずっとつかんだ。
「帰ることは何でもないんだろ? 逃げるな」
「相手が悪いよ。姉ちゃんか母さんならともかく……」
「どうぞ、あいとるよ」
 扉の外で待っていると、そんな声がかけられた。
 都市部では、相手が開けてくれるまではたとえ玄関と言えども入ったりはしないものらしいが、田舎では違う。昼中であれば、玄関に鍵などかけないし、土間までは誰もが勝手に入ってくる。誰何もされず、自分が名乗る前に『とうぞ』と言われ途惑っている和馬に、博貴は小さく息をつくと、観念したように勢いよく扉を開けた。
 と、そこには博貴の想像通り、小柄な老婆がいた。老婆は家を飛び出して行った、孫の姿を見やると、目を大きく見開いた。そして、次の瞬間、老婆――澤村静江は博貴を怒鳴りつけていた。
「博貴っ! この大馬鹿もんが、一体どこにいっとった」
 その大声に、博貴はびくっと身をすくめた。そして、こわごわと静江を見やる。が、その一言で気が済んだのか、老婆は大きく息をつくと「よう帰ってきた」といって、静かに笑んだ。
「おまえの考えそうなことくらい、簡単に想像がつくわ。ばか者が」
「ばあちゃん……」
「麻生さんでしたかの。孫達がご迷惑をおかけしたようで」
「いえ」
 名乗る前にそう言われて和馬は、肩を竦めて短く返事をした。
「ばあちゃん、姉ちゃんいる? 麻生さんは姉ちゃんの客なんだ」
 博貴のその言葉に、静江は顔を曇らせた。その変化に、和馬は自分が招かれざる客であることを悟った。
「綾香が何か言っていたようじゃが、生憎その必要はない。お引取りねがえんやろうか」
「まだ、そんなこと言ってるのかよ」
 言った静江に、博貴は不機嫌そうな声を上げた。
「和馬さん、戻ろうぜ。何言っても無駄だよ。姉ちゃんがあんな事言ってたから、少しは情況が好転してるかと思えば、結局石頭ばっかじゃねーか。頭ん中にコケはやしてんじゃ、ねえっつうの」
 あまりの博貴の言葉に、静江は口をパクパクさせた。
「博貴」
 嗜めるように言った和馬に、博貴はぷっと膨れた。
「だってさあ」
「――あのですね。私は何も儀式の邪魔をするといってるわけではないんです」
「和馬さん?」
 いきなり言い出した和馬に、博貴は怪訝そうに見やった。
「綾香さんに依頼されたのは、儀式の中止ではなく、原因の解明です」
「どういう……ことやろう」
 儀式の中止ではない、という所に引っかかったんのだろうか。静江は思わず問い返していた。
「儀式のたびに何人かお亡くなりになっているというのは、綾香さんにお聞きしました。綾香さんは、何か原因があるのではないかとお考えのようでしたので、事前にそれを調べるという依頼をお受けしたのです。儀式自体に部外者がかかわるのがまずいというのであれば、そのあたりは配慮します。澤村の方々にはご迷惑をおかけすることはないと思いますので」
「……」
 和馬の科白を、ただじいっと聞いていた静江は言葉に詰まって黙りこんだ。
 儀式をやらなければという強迫観念と、また亡くしてしまうかもしれない命の重さ……。その狭間で静江の思考は止まっているようだった。
「おばあちゃん、お鍋かけっぱなしで、なにを――あら」
 奥から顔を出した綾香は、和馬の姿を見つけると言葉を止めた。
「先日はどうも」
 目礼をした和馬に軽く会釈をしながら、綾香は博貴のほうに視線を向けた。ついで静江の方を見やると、静江は綾香と目を合わせないようにしながら奥へと引き下がった。
 そんな静江の様子に、大体の経過を察知して、綾香は軽く息をつき、和馬に向き直った。
「遠いところをわざわざすいませんでした。こちらへは車で?」
「はい」
「雪は大丈夫でした?」
「ええ、なんとか」
 和馬は、力なく言った。主要国道を使っているうちはまだ良かったのだが、さすがに細い道に入ると、どこも多少は雪があった。とくに滝川村に入ってからは、どこもかしこも雪だらけで、雪になれていない和馬にとっては、最悪のドライブだったのだが。
「ったくさあ。雪に慣れてない人間の運転が、こんなに怖いものだなんて、俺、知らなかったよ」
「博貴!」
 嗜めるように言った綾香に、和馬は「本当のことですから」と頭をかきながら言った。実際、自分でも怖かったのだ。こんな運転の助手席には、自分でも乗りたくない。
「まったく、誰のせいで麻生さんがこんな所まで来なきゃいけなくなったと思ってるのよ。いいかげんにしなさい!」
 言いながら、綾香は博貴の頭を拳骨で殴った。ゴンッと鈍い音がして、次の瞬間博貴は頭を抱えた。
「いってーな、なにするんだよ」
「煩いわね。あ、麻生さん、どうぞお上がりください」
「はあ、ですが」
 奥に消えて行った静江を追うような視線に、綾香は小さく息をついた。
「おばあちゃんのことなら、気になさらないで下さい。これだけは、私の好きなようにやらせてもらう事になってますから」
「……」
 言った綾香はどこか悲しげな表情を浮かべていて、和馬はなにも言えずに沈黙を返した。そんな和馬に、綾香は無理やり笑みを浮かべた。
「お疲れでしょう? どうぞ、こちらへ。博貴もいらっしゃい」
「では」
 和馬は靴を脱ぐと、几帳面にそろえて上がった。板張りの廊下は、靴下越しにも氷のように冷たかったが、スリッパらしきものは見当たらなかった。
 長い廊下をまっすぐ突き進むと、はなれがあった。
「大きい家ですね」
 言った和馬に、綾香は「田舎ですから」と恥ずかしそうに言った。
「それより、祖母が何か失礼なことでも……」
「いえ、別に何も」
「帰ってくれ、くらいは言ったでしょ? 何のかんの言っても古い人間だから」
 肩をすくめて言った綾香に、和馬は「当然の反応だと思いますよ」とさらりと言った。こういう反応には慣れている。自分のような人間に仕事を依頼すると言うことは、それを承諾しかねる人にとっては、土足で家の中に上がりこまれるのと同じだ。依頼した人間はよくても、その周りにいる家族が難色を示すことは、よくあるのだ。
「そういっていただけると、助かります」
 ほっとしたように言った綾香に、和馬はふっと笑みを浮かべた。
「この離れなら、どう使って戴いても結構です」
 言いながら綾香は扉を開けた。普段使われていない部屋だろうか。しっかりと雨戸が閉められ、部屋は真っ暗だった。すぐ入り口にある電気をつけた綾香は、次いでヒーターのスイッチを入れた。
「すぐに暖かくなりますから」
「あの、澤村さん。儀式に関する資料と言うのは、あるんですか?」
「え? ええ。多少はありますが……」
「おばあさんに、儀式で死亡者が出た原因を解明するために来た、と言ってしまったものですから。少し調べて見ようと思って」
「そうですか。今、ちょっと手が離せないもんですから、あとでお見せできるものを持ってきますね」
「それは、助かります」
 恐縮したように頭を下げた和馬に、綾香はふんわりと笑みを浮かべた。
「博貴になにを頼まれたのかわかりませんが、あまり、この馬鹿の言うことは聞かなくても良いですからね」
「って、姉ちゃん、なに言ってんだよ!」
「煩いわね。家じゃ、しばらくあんたの発言権はないわよ」
 言った綾香は、和馬にぺこりっと頭を下げると、もと来た廊下を戻って行った。
「ったく、姉ちゃんのやつ……」
「さすがに、よく見てるな。お姉さんは」
 くすりっと笑った和馬に、博貴は面白くないというように鼻を鳴らしてぽつりと言った。
「和馬さんって、詐欺師の才能あるんじゃねえ?」
「馬鹿な事言ってる暇があるなら、手伝ってくれよ」
「なに?」
 溜息とともにこぼれた和馬の言葉に、博貴は即反応した。そして、持ってきた荷物を中へ入れると、あたりを確認してから部屋のドアをしっかりと閉めた。
 普段人の入らない部屋は、ことさら温度が低い。博貴は、荷物を部屋の隅に置くと、押入れから座布団を二つ引っ張り出してきた。そして、それを出力全開で頑張っているヒーターの前に置くと、どすんと腰を下ろした。
 和馬もそれに習うと、自分のもってきた荷物の中から、ノートパソコンを取り出した。
「ここで一番、儀式のことに詳しいのは、誰だ?」
 コンセントを探し当てた和馬は、言いながらそれをさしこんだ。
「ん〜、ばあちゃん、かな。姉ちゃんが持ってくるって言ってた資料なんて、たいした事書いてないやろうしなあ。じいちゃんは婿養子だから、なんも知らんし。大体、あの儀式に参加する人数ってのが、限られてるからさ」
「できれば、話が聞きたいんだが……」
「うーん、どうだろうなあ」
 博貴はぼりぼりっと、頭を掻いて天井を見上げた。あの反応を見ているかぎり、それが拒絶される可能性は高いように思える。
「まあ、やってやれないことはないだろうけど。こっちには、まだ『切り札』があるし」
 ぽんっと鞄を叩いた博貴は、実に緊張感のない顔でへらっと笑った。『切り札』とは、言わずと知れた、あのペンダントのことである。綾香たちが、あのペンダントのことをなにも言わないのは、下手に博貴を刺激して、またあれを持って失踪されるのを恐れたからだろう。
 それは分からなくもないが、さらりとそう言われてしまうと、なにか悪い事をしている気分になる。
「おまえなあ……」
「だってさあ、あれ渡しちゃったら、ばあさん達きっと麻生さん追い出すぜ? 姉ちゃんがいくら言ったってダメなんだよ。聞いてるふりはしてるけど、結局結果は同じなんだから」
「言いたい放題だな」
「言わせてるのは、向こう」
「まあ、とりあえず俺では交渉自体が成立しないだろうからな。まかせるよ」
 その和馬の言葉に、博貴は嬉しそうに笑みを浮かべると、すくりと立ちあがり、部屋を後にした。
 そして、五分とたたないうちに戻ってきた博貴は、にっとりと笑って言った。
「和馬さん、夕飯の後にばあちゃん、話してくれるってさ」
「本当に、か?」
 頼んでは見たものの、まさか本当に話を取り付けられると思っていなかった和馬は、思わず言った。
「そんなこと、嘘言ってどうするのさ」
「……おまえ、一体何したんだ?」
「そんな、人聞きの悪い。別に俺は、ばあちゃんに『お願い』しただけだよ」
 そんな博貴の科白を、胡散臭げに見やった和馬は、こいつだけは敵に廻すまいと心のそこから思った。





















「あの儀式の始まりは、平安の時代というから、もう、千年以上前のことになるらしい」
「千年……?」
 気の遠くなるような年月に、博貴は呆気に取られたように繰り返した。そんな博貴の反応に、静江はすっと目を細めると、ゆっくり口を開いた。
「滝川村には、ある決まった時期になると山神様が降りてくるという言い伝えがあってな。その時期には、山には入ったらいかんと言われとったようや」
 石油ストーブの上に乗ったやかんが、しゅんしゅんといい出した。その音が静かな部屋に響き、余計に静寂を感じさせた。
「けど子供達は山遊びが好きでなあ。多少言われたくらいでは、聞かんかったらしくて、よう子供が山でいなくなった。まあ、神隠しといわれるやつやな」
「その子供達は、戻ってきたんですか?」
 和馬の問いに、静江はゆっくりと首を横に振った。
「いや、戻らなんだ。禁を犯したのは子供達やからな。子をなくした親達も、そのままもとの生活に戻るしかなかったんやろう。村人達は、山神様が子供らを連れていったと思ったからな」
 言った静江は、おもむろに立ち上がるとストーブの上のやかんを手に取った。そして、新聞を炬燵の上に乗せると、そこに蓋を取ったやかんを置いた。
「そんな事が繰り返されれば、子供達も山へは入らなくなる。そんなとき、大きな山鳴りが村中に響いて、来る日も来る日も揺れ続けた。その異常事態に、誰かが山神様が怒っていると言い出したんや。ようするに、神隠しは――子供の失踪は、必要なものやったと」
「生贄……ですか」
 和馬の言葉に静江は大きく頷いた。
「しかしな。禁じられた山に入っていなくなった子供であれば、親も諦めるほかないが、生贄となれば話は別や。だから、生贄の変わりとなるものが必要やった」
「それが、儀式の始まりですか?」
「そういうことや。山神様の怒りを治めるために、供物と舞いを奉納することにしたと言う」
 急須にお茶の葉を入れた静江は湯を注ぎ、脇に用意してあった湯のみにお茶を注いだ。そして、二人の目の前に湯のみを置いた。
「その時は、まだあの蔵は建っとらなんだ。単なる洞窟があったようじゃが、その洞窟のあたりで人が倒れたり、死んだりすることが多々あったようでな。村長だった澤村がここに蔵を建てと言うことや」
 そこで言葉を切った静江は、和馬をちらりと見やり、にんまりと意味ありげな笑みを浮かべた。そしてゆっくり湯のみを傾け、口内を潤したあとに再度口を開いた。
「あとは、綾香が持っていく資料に書いてあることばかりやから、説明はいらんやろう」
 その言葉に、笑みの意味を知った和馬は苦虫を噛み潰したような顔をした。静江は、和馬が綾香に頼んだ用件を知っている。こちらの思惑など、筒抜けなのかもしれない。
 ――だったら、何故好き勝手にやらせているのか。
 この家に着た時に、まず『帰ってくれ』と言ったのはほかでもない静江だ。けれど、静江が本気でそれを望んでいるわけではない事は、薄々わかっていた。
 しばしの沈黙の後、和馬は思い切って口を開いた。
「前回の儀式を、取りやめようとなさったと言うのは、本当ですか?」
 和馬の言葉に、静江は湯のみを持ったまま視線だけを和馬に向けた。そして、少しの間の後、ずずっとお茶をすすった。
「ああ。やけど、結局儀式は行なわれ、わしの姉は死んだ」
「……」
 押し殺されたようなその声に、和馬は返す言葉も見つからず、ただ、沈黙だけを返した。










「これと言って、ないな」
 綾香が用意してくれた資料を読み終えた和馬は、ぽつりと言った。
 資料に書いてあることばかりだから、といった静江を説き伏せてなんとか話してもらった内容は、静江の言ったとおり、資料に書かれている事とほぼ同じだった。
 しいて言うならば、儀式は『五十年に一度』、ではなく、『五十年くらいに一度』だったことだろうか。大体、このあたりで大きな地震が起こった後、執り行われているようだった。
「まあ、結局根本的な解決になるようなもんは、なかったな」
 博貴の言葉に和馬は肩を竦めた。それくらいは、覚悟していた。というよりも、文献的なものだけで解決できるとは思っていない。
「それがあったら、俺がこんなとこに来る必要はなかっただろうからな」
「まあ、ね」
 なんのかんの言っても、博貴や綾香がまったく調べていないとは和馬も思っていない。
「ああ、そう言えば一つ聞きたいことがあるんだが」
「なに?」
「ここの裏に川が流れてたな。あれが来る時に横を流れてた川の始流か?」
「いきなり、なにを言い出すかと思えば」
「昔、渓流釣りやってたんだよ。最近やってないかったから、なんとなく気になってな」
 下流の方では、この寒いのに、何人かの釣り人を見かけた。それなのに、このあたりにはまったく人影がない。それが、どこか不自然に思えた。この雪の中、釣りなどする物好きは少ないのかもしれないが、もともと釣りはそういう物好きがするものなのだ。
「あ、でもダメだよ。この裏の川は」
「まだ、解禁前か? えらく遅いな」
「ちがうって。魚いないもん。この川」
「は? でも、下流で釣りやってただろ?」
「ああ。あれは、もう一本と合流するからだよ」
「もう一本?」
 怪訝そうに首を傾げた和馬に、博貴は大きく頷いた。
「ああ。山一つ違う所に、もう一つ川があってさ。そっちは魚もいるから、それと合流する所まで行けば、釣りもできる」
「魚がいない……?」
 博貴の言葉に引っ掛かりを覚えた和馬は、ぽつりと呟いた。具体的に、何が引っかかっているのかは、和馬自身もわからないのだが、なにか頭のすみにあるのだ。もう少しで何か解りそうなきがするのだが……。
「そんなことよりさ、明日どうすんだ?」
 資料をぺらぺらとめくりながら、博貴が言った。が、和馬には、そんな博貴の言葉など聞こえていないらしい。なんの反応も示さない和馬に、博貴はむっとしながら声を上げた。
「和馬さん?」
「……」
「和馬さんってば!」
「あ、ああ。なんだ?」
「なんだ、じゃないだろ。なにぼ〜っとしてんだよ」
「悪い。で、なんだって?」
「明日どうするかって聞いたんだよ」
 ひとまず、自分の方に向けられた視線に、博貴は先程の質問を再度した。
「明日……か」
 ぽつりと呟いた和馬は、少し考えて言った。
「現場を見る、かな」
「現場って、倉庫の中か?」
「ああ。隙があれば、鍵も開ける」
「鍵を?」
 博貴の表情が曇った。
 さすがに、儀式の時しか開けないといわれる扉を開けるなど言う意見には、難色を示すらしい。和馬は、どうやって博貴を説得しようかと、思考を巡らせた。
「大丈夫なのか?」
 と、博貴が不安げに言った。どうやら、儀式を前に扉を開けることよりも、開けた後の心配をしているらしい。和馬は思わず苦笑しながら口を開いた。
「お前、言い切っただろ? 祟りなんかじゃないって。だったら、何か原因があるはずだ」
「そりゃいったけど……」
 博貴自身は、祟りなどではないと今でも思っている。けれど、博貴が主張した所で、もしそうだった時には、どうするのだ。そう思いながら和馬を見やると、なんだかその表情は妙に自信ありげに映った。
「――和馬さんもしかして、なんか心当たりでもあるのか?」
「まあな」
「まあなって、どう言うことだよ。何がわかったんだ?」
「憶測だけでは、なにも言えんよ」
 言った和馬はすっと目を細め、手の中にあった資料をパタンと閉めた。







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