決めるのは君達だ。
たとえ、それが泥の川であったとしても














【 囚われの記憶 6 】















『もとの身体に戻る方法も、あるいは――』
 そんな、突然の訪問者の言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
 相変らず、身体は鉛のように重かったし、手足の傷は疼いていた。けれど、頭の芯だけは、やけにクリアだった。
 先ほどまでは、まるで、闇の中にいる気分だったというのに。その闇に、一筋の光が差したのだ。

 元に戻る事が出来る、可能性――。

 そんなものがあるとは、思いもしなかった。
 だからこそ、その光がどんなにか細いものだったとしても、それに縋ろうと思った。
 身体の痛みよりも、襲い来る罪悪感に苛まれた精神は、そこに、一度は消えた未来を見出したのだ。
 どんな巨木であっても、その根が腐れば倒れてしまう。それが幼木ならば、なおさらだ。けれど、腐りかけた根は、その一筋の光に救われた。まさにそんな感じだった。
「国家錬金術師――か」
 ぽつりと呟いたエドに、アルが不安げに口を開いた。
「兄さん。まさか、あの、中佐の言ってた事……」
「ったり前だろ。元の身体に戻れるかもしれないんだ。だったら、その国家錬金術師ってのに、なってやろうじゃないか」
「馬鹿な事を、考えるんじゃないよ」
 ぴしゃりっと言ったピナコに、エドはむっと口を尖らせた。
「なんだよ、馬鹿なことって」
「そうだろう? こんな事になったってのに、なんだってまた、錬金術なんか――」
「……」
 ピナコの言う事も、もっともだとは思う。
 けれど、元の身体に戻れる可能性があるのであれば、それを捨てたくはないのだ。それを諦めてしまったら、きっと自分はココから、一歩も動けなくなってしまうから。
 そんなのは嫌だった。
 今まで、生きている事の意味など、考えた事もなかったけれど。あの時。真理にのまれゆく意識は、生きたいと――いや、死にたくないと思ったのだ。
 だから。これから向かおうとする道が、どれだけ辛くても、進んでいかなければいけない、そう思うのだ。
 絶望の中で生きるくらいなら、たとえ苦しくても、前へと進みたい。その為に『軍の狗』になれと言うのなら、それでもかまわない。
 ついっと視線を上げたエドは、ピナコを真っ直ぐ見やると口を開いた。
「ばっちゃん、オレはっ」
「お前、分かってるのかい? 軍属になるって事の意味を」
 エドの言葉を遮って言ったピナコに、エドは一旦その口を閉ざした。そして、すうっと大きく息を吸いなおすと、こくりと頷いた。
「――ああ。分かってるよ」
 分かっている。
 いや、本当は分かってなどいないかもしれない。
 それでも、今の自分にはそれしかないのだ。
「兄さん」
 アルが何かを言いかけた、丁度その時、隣の部屋からウィンリィの甲高い声が飛んだ。
「アル〜。ちょっと、こっち来て!」
 呼ばれたアルは、ちらりっとエドを見やった。
「呼んでるぞ。アル」
「あ……うん」
 そう答えながらも、まだ、その場を動こうとしないアルに、エドは小さく息をつくとぼそっと言った。
「早く行かねぇと、ウィンリィ、こえーぞ」
 丁度その時「アルってば!」というウィンリィの声が届いて、ぴっとその身体を伸ばしたアルは、慌てて部屋を出て行った。
 そんなアルの姿を見送りながら、エドはぽつりっと言った。
「オレの身体がこうなったのは、自業自得だ。けど、アルは――。アルは、巻き込まれただけだ。オレのせいなんだ」
 残された左手をぎゅうっと握り込んだエドは、固い決意とともにピナコを見やった。
「だからっ! アルだけでも、絶対に元の身体に戻してやらなきゃいけないんだ」
「エド……」
「中佐は、元の身体に戻れる可能性があるといった」
「都合のいい解釈はよしな。マスタング中佐は『あるいは』と言っだろう。絶対に、元に戻れるわけではないんだよ」
 ぴしゃりと言ったピナコの言葉に、エドはこくりっと頷いた。
「そんな事は分かってるよ。けど――」
 一旦そこで言葉を切ったエドは、すうっと目を閉じた。そして、大きく息を吸いなおすと、ゆっくりとその目を開いて言った。
「オレは――オレたちには、もう、無くすものなんて、何もありはしないんだ。だから、ほんの少しでも可能性があるなら、オレはそれに賭けたい」
「エド……」
 もう決めたのだ、といわんばかりのエドの言葉に、ピナコはただその名前を呼ぶことしか出来なかった。
「けど、そんな身体じゃあ」
「機械鎧――。オレに、つけられるか?」
「エド、お前――」
 突然のエドの言葉に、ピナコは眉を寄せた。
 もし――。もし、この子らの母親が死ななければ、こんな事にはならなかったのだろうか。
 今更、こんな事を考えても仕方がない。
 そんな事は、分かっていた。分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
「ばっちゃん」
 黙りこんでしまったピナコに、エドは返事を急かすように言った。
「出来ない事はないよ。だが――」
「兄さん、ウィンリィがね〜」
 言いながら入ってきたアルの声に、ピナコの言葉は遮られた。ぴんと張り詰めていた室内の空気が、その瞬間、ぷっつりと切れた。
 半ば呆然とアルを見やった二人に、アルは、状況が飲み込めずに首を傾げた。
「兄さん? ばっちゃんも、どうかしたの?」
「あ……ああ。なんでもないよ」
 言ったピナコは、海よりも深い溜息をつくと、ちらりっとエドを見やった後、観念したように口を開いた。
「アル。悪いがちょっと、ウィンリィを呼んできてくれないかい?」
「ウィンリィを?」
「ああ」
「う、うん」
 こくりと頷いたアルは、もう一度部屋を出て行った。
 そんなアルの姿を見送ったピナコは、再度溜息をつくと小さく肩を竦めた。
「まったく、仕方ないねぇ」
「ばっちゃん、じゃあっ!」
「なあに? おばあちゃん」
 言いながら、部屋に入ってきたウィンリィに、ピナコは「お客さんだよ」と短く言った。
そんなピナコの言葉に、ウィンリィは小さく首を傾げた後、きょろきょろっと、あたりを見回した。
「え? どこに?」
「オレだよ、オレ」
 言ったエドに、ウィンリィは目を大きく見開いた。
「ええっ! オレって、エドが、お客さん? って……あんた、本当に?」
「ああ」
 言ったエドに、ウィンリィはこくんっと息を飲んだ。
 そんなウィンリィを見やり、口もとに薄く笑みを浮かべたピナコは、エドに向き直った。
「大の大人でも、耐えられないような手術だ。覚悟するんだよ」
「分かってるよ」
「そうかい。なら仕事に取り掛かるとするか」
「できるだけ、早く頼む」
「まったく、うるさい客だねぇ」
 言ったピナコは、ちらりっとウィンリィを見やる。そんなピナコに、こくりと頷いたウィンリィは、そのまま部屋を出て行った。
 ウィンリィの背中を見送ったエドは、ちらりっとピナコを見やると「ばっちゃん」と読んだ。
「今度は何だい?」
「ゴメンな。ありがとう」
「それは、お前たちが元の姿に戻った時に聞くよ」
 言いながら、すうっと目を細めたピナコに、エドは「うん」と小さく答えた。















「くどいようだが、本当にいいんだね?」
 やけに消毒くさい部屋で、注射器を片手もったピナコは、確認するように言った。ちらりっとピナコに視線を向けたエドは、こくりと頷いた。
「いいよ」
「後悔、しないかい?」
「うん。もう、決めた事だから」
 そんなエドの言葉に、ピナコは無言のまま頷いた。
 本当は、不安だ。
 心の奥底には、不安しかない。
 それでも、あの一筋の光を手放すわけにはいかない。
 アルの――。そして、自分の為にも。
 すうっと目を閉じたエドは、ぎゅっとその左手を握り締めながら口を開いた。
「手術とリハビリで、どれくらいかかる?」
「まともに動けるようになるまで、三年ってとこかね」
 三年――。
 そんなに、待てない。
 しかと目を見開いたエドは、目の前のウィンリィとピナコを見据えて言った。
「一年だ!」
 その言葉に、ピナコはぎょっとしたような表情を浮かべたが、エドのその決意に満ちた表情を見やりごくりっと息を飲んだ。そして、苦い笑みを浮かべながら言った。
「――血ヘド、吐く事になるよ」
 ピナコのそんな言葉に、エドはただ無言のまま頷いた。
 そして、傍らで心配そうに自分を見ているアルを見やると、口を開いた。
「アル、もう少し我慢してくれな。オレが、元の身体に戻してやる」
「うん。その時は、兄さんの身体も一緒にだよ」





2004/05/19UP


















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