あれ以来。
 瞼の裏に焼き付いて離れない光景があった。

 そして。
 今、自分の前にあるもの――。
 それは、あの時。
 繰り返し脳裏に浮かび、そして消えていった、
 自分自身の姿だった


























【 囚われの記憶 4 】















「まったく……」
 ぽつりと呟いたロイ・マスタングは、いわゆる「不備」の書類作成者の名前をしっかりと脳裏に刻み付けた後、向かいにいるリザ・ホークアイにぽんっと投げた。荷馬車に揺られながら、それを受け止めたホークアイは、咎めるように「中佐」と短く言った。
 そんなホークアイを、ちらりと見やったロイは深い溜息をついた。
「どうかなさいましたか?」
「いや――。まったく、ついてないと思ってな」
「何がです?」
 分からないというように言ったホークアイに、ちらりっと視線を向けたロイは、ゆっくりと口を開いた。
「わざわざ、こんな田舎まで出向いたというのに、書類は不備だいうし、目的の兄弟は十と十一だという」
 書類不備であったとしても、それは、さほど問題ない。
 国家錬金術師となるだけの資質を持ったものであれば、年齢など問わないのだから。けれど、さすがに十やそこらの少年達では、錬金術に長けていると言っても、それほどの期待は出来ないだろう。
 完全に無駄足だ。
「それほど、暇を持て余しているわけではないのだがな」
 デスクに山と積まれた書類を思い出したロイは、げっそりとした表情を浮かべながら言った。そんなロイに、ホークアイはこれ見よがしに溜息をついた。
「――そう言われるでしたら、もう少し真面目に仕事をしてください。中佐が無闇に仕事をさぼらなければ、あれほど書類がたまる事はありません」
 きっぱりと言い切ったホークアイに、ロイは些か居心地悪そうに身じろぎすると、前方に見えてきた家を見やり「あれか」と呟いた。
















 玄関まで歩み寄ったロイは、何度かノックをした。だが、中から返事はなかった。
 何気なくドアのノブをひねると、それは、何の抵抗もなく開いた。
 しんと静まり返った家の中に、人の気配はなかった。
「留守か?」
 薄暗い部屋の中に、一歩足を踏み入れるた所で、ロイはその歩みを止めた。
 机や床には、本やら紙やらが散乱していた。一体、何の資料なのか。それを見ようと手を伸ばしかけた時、ロイは机の上に写真立てを見つけて、すうっと目を細めた。
 写真の中で笑っているのは、二人の子供。
「この子供達、か」
 ぽつりと呟いたロイは、手にした写真を元の場所に戻すと、さらに奥の部屋へと足を進めた。そして、ゆっくりとドアを開けたロイは、思わずごくりっと息を飲んだ。
「中佐? なにかありましたか?」
 背後から掛けられた声には答えず、ロイはそのまま部屋の中に足を進めた。

 あたりに漂う、据えた鉄の臭い。
 床に転がっている、いくつもの瓶。
 じっとりと、重苦しく湿気を帯びた空気――。

 明らかに、この部屋は、異質だった。
 そして、部屋の中央には、血液にも似たどす黒い液体と、錬成陣があった。
「これは……」
 ぽつりと呟いたロイは、無意識のうちに、その手を硬く握った。
 目の前に無防備に曝け出された、その構築式は、過去にロイの脳裏を何度も過ぎったものに似通っていた。
 その構築式が指し示す物――。
 そこまで考えて、ロイはすっと眉を寄せた。
「十一歳――だと?」
 錬金術に年齢は関係ない。そんな事は分かっているが、それでも、そんな言葉がこぼれ出た。
 ぎりっと歯噛みをしたロイに、部屋に入ってきたホークアイは、壁を見やりながら言った。
「これは、血痕?」
 床に転がっている瓶を拾い上げたロイは、そのラベルを見やり、その手をぐっと握りこんだ。
「一体、何を――」
「中佐?」
 訝しげに言ったホークアイの問いには答えず、ロイは苛立たしげに言った。
「何処だ!」
 そんなロイの声に、丁度部屋に入ってきた憲兵は、わけも分からず「へっ?」っと間の抜けた声を上げた。
「エルリック兄弟とやらは、何処だっ!」
「へ、へぇ。家にいないって事は、ロックベルさん家かと……」
「ロックベル?」
 すうっと眉を寄せたロイは、老人の言葉を繰り返した。こくこくっと頷いた憲兵に、ロイは手にした瓶を机に置くと、くるりと踵を返した。
「ならば、そこに案内したまえ」


















 逸る気を抑えることも出来ず、ロイはロックベル家のドアを、ガンガンっと叩いた。
 背後で、番犬と思しき犬が、けたたましく吼えていたが、かまわず叩き続けていると、中でがたがたっと音がした。
「うるさいよ、デン。お客さんには――」
 そんな声と共に、開けられたドアの淵をがしっと掴んだロイは、家主にちらりと視線を向けると、そのまま強引に部屋に入った。
「失礼。ロックベルさん」
 突然の侵入者に、小柄な老女は噛み付かんばかりの勢いで、ロイに食ってかかった。
「軍人がいきなり何だい!」
「すみません。エルリック兄弟が、ここにいると聞きましたので」
 小さく頭を下げて言ったホークアイに、老女はすっと顔を曇らせた。
 そんな老女を見やり、ロイはこの家にあの兄弟がいる事を確信した。そして、ぐるりと部屋を見回すと、部屋の隅に大きな鎧と、車椅子に乗った少年が目に入った。
 うつむいているその少年の目は、どんよりと曇っていた。
 先ほど写真で見た、あの少年と同一人物だと思う。だが、そこにいるのは、まったくの別人に見えた。
 よくよく見れば、左足と右腕は、ない。

――まさか。

 そんな言葉が、脳裏を過ぎった。
 先ほど、あの錬成陣を見たときと同じような、なんとも落ち着かない気分になった。
 自分の中に膨らんでしまった、得体の知れない不安を隠すように、ロイは少年にずかずかと歩み寄った。
 そんなロイを、上目遣いに見上げた少年の目は、まるで死人のようだった。
 生気のない、そんな少年の瞳に、ロイは少年の胸倉をぐっと掴むと、思わず叫んだ。
「君達の家に行ったぞっ! なんだ、あの有様は!」
 言ったロイの言葉に、少年がぴくりっと反応した。
「何を作ったっ!」
 そんな言葉に、少年は今にも泣きそうな表情を浮かべた。

――何を作った。

 そんな事は、聞かなくても分かっていた。
 それでも、聞かずにはいられなかった。
 何も言わずにうつむいてしまった少年に、後ろに控えていた鎧が、すっとロイの手を制して言った。
「ごめんなさい。許してください」
 その声は、その外見を裏切った、子供のものだった。自分の耳を疑いつつも、その鎧に視線を向けると、鎧から、再度声が聞こえた。
「ごめんなさい」
 紛れもない、子供の声だ。けれど、声のその反響の仕方は、どこか奇妙だった。
「ごめんなさい」
 再度言われた、その言葉に、ロイは小さく息をつくと、少年の胸倉をつかんでいた手を離した。


2004/05/15UP


















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