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終わりのない幻影










 朝からざわついていた。
 儀式に参加する親戚筋が集まってきているのか、
 母屋のほうの人口がだんだん増えてきていた。

 そして、儀式は始まった。













4、




 もうそろそろ、終わるころだろうか。
 ちらりと時計に視線を走らせた和馬は、そのまま空を見上げた。どんよりと曇っているにも関わらず、あたりが明るいのは雪のせいだろう。昨夜から明朝にかけて降った雪は、あたりを白く覆い尽くしていた。
 儀式が始まったのは、小一時間ほど前だっただろうか。和馬も儀式に出られるようにと、博貴が掛け合ったようだが、当然その意見は却下された。
 蔵のすぐ前に、和馬はぼんやりと立ってた。当然のことながら、かなり寒い。足元からじわりじわりと、冷たさが凍みて来る。もう、寒いというよりは痛いという感覚だろうか。足先も顔も、自分の思うようには動かなかった。
 何も、こんな外で待っていることはないのだろう。けれど、気になった。自分の考えに間違いはないとは思う。それでも、万が一のときを考えて、二人にセンサーを渡してあるのだが……。
「そんな心配より、自分が帰る心配したほうがいいのかもしれんな」
 和馬はそう呟くと、雪の中に埋もれている自分の車を見てため息をついた。天気予報によれば、まだまだ、雪は降るらしい。普段は見ることなどない、雪化粧した山々をみやり、和馬は再度ため息をついた。
 名古屋あたりでは、よほどのことがない限り雪など積もらないのだ。まあ、積もったところで山などありはしないのだが。
「もどるか」
 特に意味のない自分の行動に肩をすくめた和馬は、ジンジンしてきた足を母屋のほうに向けた。そして、きれいに雪かきされて出来た道を戻りかけた。
 と、動きのなかった空気が微妙にゆれたような気がして、和馬は振り返った。蔵の中がざわついている。それも、やるべきことが終わってほっとしているという雰囲気ではなく……。
 和馬の脳裏に不安がよぎった。

――何かあったのか?

 戻りかけた足が、蔵へと向いた。と、その時ギギッと重い音がして扉が開いた。
 最初に駆け出してきた博貴の青ざめた表情に、和馬は息を呑んだ。
「和馬さん……」
 二人に渡したセンサーは最大出力になっていた。あれが作動すれば、蔵の外まで聞こえたはずだ。

――まさか。

 何か、とてもいやな予感がした。大丈夫だったはずなのに。不安が徐々に体を蝕んでいく。和馬は慌てて博貴に駆け寄った。
「どうしたんだ、博貴!」
「姉ちゃんが倒れた」
 否定したかった言葉が、博貴の口からこぼれ出た。「まさか」という言葉が喉まででかかったが、その言葉を飲み込む。
 我先にと自分の命さえ危険かもしれない蔵の中から出てくる人々。それに続いて、父親に抱きかかえられた綾香の姿が見えた。綾香は血の通わない人形のように白く、ぴくりとも動かなかった。
「どうしよう、姉ちゃん死んじまったら」
「落ち着け。大丈夫だ」
 まるで、自分に言い聞かせるような言葉だった。言っている自分が、その言葉を信じきれずにいるというのに。
「でも、息もしてないみたいだった」
 言った博貴の手が、かすかに震えていた。
「しっかりしろ、博貴っ!」
 声を荒げた和馬に、博貴はびくっと身を揺らした。
「大丈夫だから、心配ならお姉さんのところに行ってこい」
 できるだけトーンをおとして言った和馬に、博貴は素直に頷くと母屋の方に足を向けた。
 和馬はそれを見送ると、誰もいなくなった蔵の中に足を踏み入れた。昨日の夜中に、落としものをしたからといって、再度蔵の中に入った。その時にセンサーをこっそりと置いてきたのだ。本当なら、データをリアルタイムで見られるようにしたかったのだが、さすがに隠れてではそこまでは無理だったのだが。
 物影にセットしてきたセンサーに、わき目も振らず突き進んだ和馬は、かぶせてあった布を剥ぎ取った。
 何ら変わりのない、緑の点滅。それは、この場に、有毒ガスが発生していないことを示していた。
「何でだ……」
 和馬の呟きは、誰もいなくなった蔵の中に大きく響いた。
 ガスは発生していない。ならば、ほかにどんな要因があったというのか。何かを見落としたのだろうか。和馬は額に両の手を当て、目をぎゅっと瞑った。
 考えても、何も出てこない。
 開け放たれた扉。
扉の前に用意された供物。それらは、綾香が倒れたときにひっくり返されたらしい。
 奥にはぼんやりと浮かび上がっている祠は、不気味にその存在を示している。まさか本当に人外の力が働いているとでも言うのだろうか。
 そんな、あるはずのないことまでが思考にのぼる。
 膝をついた和馬は、開かれた扉の奥をぼんやりと見やった。
 薄暗い蔵の中では、自分と自分でないものの境すら、曖昧になる。この思考すら、自分の物でないような感覚に陥ってしまう。
「和馬さん!」
 思考と、時間の流れる感覚すらなくなってきたころ、そんな声が和馬を現実に引き戻した。
 振りかえると、外からの光とともに、息を切らした博貴が蔵の中に掻けこんできた。
「姉ちゃん、大丈夫、だった」
「え?」
 博貴の言葉に、和馬は慌てて立ちあがった。和馬の前まで来て足を止めた博貴は、ぜいぜい言いながら、さらに続ける。
「ただの、過労、だったって」
「――過労?」
 問い返した和馬に、博貴はこくりと頷くと息を整えた。
「姉貴さあ。ここんとこ、全然眠れてなかったみたいで、舞いの奉納が終わった瞬間、気が抜けたらしくて」
「……」
「ったく、人騒がせだよな。っと和馬さん?」
 いつのまにかしゃがみ込んで、手で顔を覆っている和馬に、博貴はきょとんとして言った。
「……よかった」
 自分のミスで、依頼人を救えなかったなどという事態を招いてしまったかと思ったのだ。
「和馬さん?」
 いやに近くで声が聞こえてふいっと顔を上げると、和馬を覗きこんでいる博貴の顔があった。驚きのあまり声をなくした和馬に、博貴はにっと笑うと言った。
「なあんだ。泣いてんじゃないのか」
「……なんで俺が泣かなきゃいけないんだ。泣きそうだったのは、さっきのお前だろうが」
「あ、なんだよ、その言い方」
 むっとしながら言った博貴に、和馬はぽんぽんと博貴の頭を叩いた。
「とりあえず、よかったな」
 言った和馬に、博貴は満面の笑みを浮かべた。






















 車の雪を跳ね除け、自分が動きたいスペース分だけの雪をかいた和馬は、道路に雪がないことを確認して肩をなでおろした。道端に所在無く置かれている塩カルが、かなりまかれているのだろう。
「もう帰っちまうのか?」
「ああ。今のうちなら、なんとか雪も大丈夫そうだしな」
「ま、そりゃ得策だ。和馬さんの運転じゃ、夕方んなったら確実に事故るね」
 そう断言した博貴に、荷物を積み込んでいた和馬は思わずむっとした。本当の事ではあるが、なれていないのだから仕方がないではないか。
「あのさあ、和馬さん」
 不機嫌そうにしている和馬などおかまいなしの博貴は、人好きのする笑顔を和馬に向けていった。
「俺、来年の春、名古屋いくからさ」
「へ?」
「事務所にバイト、いらない?」
 名古屋の大学をうけると言うのは、どうやら本当だったらしい。いや、そんなことより――。
「……あのなあ、バイトがいるように見えるか?」
 和馬自身、雇われの身なのだ。第一、バイトがいるほど、仕事はない。正確に言うならば、バイトがいるほど『所長』は事務所に寄りつかない。
「え? 便利だと思うよ、俺。和馬さんより資料集めは早いみたいだし。お買い得だと思うなあ」
「なんにしても、まず、大学受かってからだろうが」
「大丈夫。俺、絶対受かるもん」
「……お前なあ」
「和馬さんどこの大学いってんの?」
「名大だ」
「じゃ、俺もそこにしよ」
「……」
 和馬は、思わず頭を抱えた。自分は博貴に気に入られるような事を何かしただろうか……。
「博貴、お前なあ」
「大丈夫。オチやしないから」
「お前、その自信は一体どこから来るんだ?」
「さあ。でもさ、さっきの言い方だと、大学受かったら雇ってくれるの?」
「誰がそんなこと言ったよ」
「よっしゃきまり!」
 かってに言い切った博貴に、和馬は深い溜息をついた。そして、何を言っても無駄だと判断した和馬は、とまってしまっていた作業を再開した。
 持ってきた機材を動かないように固定して、トランクを閉める。
「そういえば、聞きたかったんだが」
「ん?」
「あの、例の鍵って、今まではどこに保管してあったんだ?」
 和馬は言いながら博貴を振りかえった。
「あれ? あれは、ばあちゃんが保管してる」
「なんで、そんなもんをお前が持ち出せたんだ?」
「たまたま、ばあちゃんの部屋に行ったら出してあってさ。で、姉ちゃんが『扉を開ける役目』をやるっていったって聞いたから……」
「たまたま……ねえ」
 そんな都合の言い話しがあるわけがない。どこからが仕組まれたものなのか分からなかったが、どこからどころか、最初からだったらしい。
「お前、かつがれたな」
「へ? なんのこと?」
 首を傾げた博貴に和馬は、深い溜息をついた。
「もう、お帰りかね」
 玄関から顔を出した静江は、和馬の姿を見つけていった。
「はい。お世話になりました」
 ぺこりっと頭を下げた和馬に、静江はくしゃりっと笑った。
「ああ、所長さんによろしく」
「え? 兄が何か?」
 和馬はその言葉に、嫌な予感を抱えながら問い返した。
「所長さんに、今回の件を相談したら、自分はこう言う依頼は不向きだから『適任者をいかせます』といわれての」
 顔一面に笑いじわを作りながら、静江が言った。
 何故、静江の口から『所長』などと言う言葉が出てくるのか。そう思いながらも、どこかで分かっていた事を口に乗せる。
「――ということは、本当の依頼人は、澤村……綾香さんではなく」
「わしじゃな。まあ、綾香は自分が依頼したとおもっとるだろうが、わしの方が先に所長さんに話しを通してあるからのう」
「……」
 どおりで、話が簡単に進むはずだ。
 綾香は、博貴をうまく使ったつもりでいたようだが、その綾香も、静江に使われていたということか。そして、和馬は光輝にうまい事使われた、と。
「依頼料は、所長さんと交渉ずみやから、今日にでも振りこませてもらうよ」
 目の前でうっすらと笑みを浮かべている老人の狡猾さに、和馬は開いた口がふさがらなかった。それでも一応、依頼人である。和馬はぺこりっと頭を下げると、車に乗り込んだ。
 一気に力が抜けた。
「あんの、バカ兄貴……」
 光輝の失踪は、完全なる確信犯だったのだ。結局、いいように使われただけの自分が無償に腹が立った。
「帰ってきたら、覚えとけよ」
 ぼそりと呟いた和馬の耳に、コンコンと言うガラスを叩く音が届いた。窓を下げてやると、博貴はにっと笑いながら言った。
「和馬さん、俺ほんとに名古屋行くからな」
「……ああ、もう名古屋でもなんでもかってに来い」
 ただでさえ、今の件で一気に疲れたというのに、まだまだしつこく言う博貴に、和馬はげんなりとしながら、言った。
 しかし、その一言を後悔するのは、まだまだ先のことだった。





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