【さよならを告げた夜に】

〜エドSide〜












 月明かりもない、暗い静かな夜だった。
 寒くもなく、暑くもない。目を瞑ってしまえば、すぐにでも睡魔に誘われそうな、そんな夜だというのに、まったく眠れなかった。
 もともと、それほど寝つきの良い方ではない。
 いや。正確に言うならば、あれ以来、寝つきが悪くなったというだけなのだが。それを加味してたとしても、ここまで眠れない事など、今までにはなかったというのに――。
「なんで、眠れねーんだよ」
 ぼそりと呟いたエドは、自分のその言葉に、すうっと眉を寄せた。そして、ごろんっと、寝返りを打つと、頭まで布団をかぶって、ぎゅっと目を瞑った。
 だが、そんな閉鎖された空間は、自分が一人であるという事をより一層強調しただけだった。深くなった闇に、突然不安に襲われたエドは、布団を剥ぎ取るように飛び起きた。
 何故、こんなにも不安なのか――。
 隣の部屋には、アルもいるというのに、何故、こんなにも『独り』だと思ってしまうのか。
 前にも、似たような感情を抱えた事があった。
 そう。自分たちの家を焼き払った、あの時。
 あの時は、これでもう、自分達に帰る場所はないのだと、そう自分に言い聞かせる為に、家に火を放った。あの時の自分には、それは必要な儀式だったのだ。けれど、そんな決別の行為が、エドのココロのどこかに空洞を生んだのもまた、事実だった。
 くしゃりっと前髪を掻きあげると、エドはついっと窓の外に目をやった。
 イーストシティでの常宿となっている、この宿から見える景色は、月明かりがない分だけ、寂れて見えた。
「ちくしょうっ……」
 口からこぼれたそんな言葉に、エドは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、鋼の拳をベッドにボスッと沈めた。
 本当は、こんなに情緒不安定な理由も分かっている。
 そう――。
 あの、一言のせいだ。
 分かっていても、認めたくなどなかった。





 昼間、ロイの執務室に報告に行った時の事だ。一体、どんな話の流れだったのかすら思い出せない中で、そんな言葉を発した事だけは覚えていた。

「あんたには、関係ないだろ」

 それは、今までにも、幾度となくロイに向けてきたものだし、別に深い意味はなかった。
 それなのに、今日に限って、ロイは酷く傷ついたような表情を浮かべたのだ。
 ほんの一瞬だった。だから、もしかしたら、ロイ自身気が付いていないかもしれないけれど、確かに、そんな表情を浮かべたのだ。
 別に、それで場の空気がおかしくなったわけでもなかったから、その場にいたホークアイ達もきっと気が付いてはいないだろう。
 きっと、こんな違和感を感じたのは自分ひとりで――。
 だから。
 報告が済んで、執務室を後にする時に口にしたのは、「じゃあな」という、いつもとまったく代わらない言葉だったはずだ。そして、それに対するロイの返事も、ただ「ああ」と短く返しただけった。
 そう。
 「今度は、いつ戻ってくる?」という、いつもかけられる、その言葉がなかっただけ。
 それなのに、何故こんなにも苦い思いだけが、身体に残っているのか――。
 普段と変わらぬ、挨拶をしただけだ。
 それなのに、何故、永遠の別れを告げたような、そんな気になってしまうのか。
 ぎゅっと唇をかんだエドは、再度、拳をベッドに沈めた。
 ぼんやりと、外を彷徨っていた視線が、路地の公衆電話の明かりを捉えた。その灯りが、なんだかとても暖かく見えて、エドはわけもなく、ベッドを降りた。そして、そのまま何かに吸い寄せられるように、部屋を出た。
 何をしようというわけではなかった。それなのに、エドの足は、何の迷いもなく公衆電話へと向かっていた。
 そして、まるで吸い込まれるように、電話ボックスに入ったエドは、公衆電話を前にして、歎息した。
「なにやってんだよ、俺――」
 コントロールできない感情。
 そんなものは、邪魔なだけだ。そう思うのに、切って捨てる事は出来なかった。

 掛けて見ようか――。

 目の前の電話を、ぼんやりと眺めていたエドの脳裏に、ふと、そんな思いが過ぎった。
 もう、日付が変わろうという時間だ。
 執務室になど、いるわけがない。
 ならば、別に電話のベルを数回鳴らしたところで、誰の迷惑にもなりはしない。
 ごくりっと、息を飲み込んだエドは、受話器に手を伸ばした。そして、既に確認するまでもなく記憶されている番号をコールした。
 程なくして交換手に繋がった。そういえば、直接繋がるわけではなかったのだと、今更ながらに思いながらも、ロイの執務室に転送してもらう。
 一回、二回、三回――。
 耳元で響くコール音が、やけに心地よくて、エドはすうっと目を閉じた。
 やはり、こんな時間に執務室になど、いるわけがないのだ。コール音を聞きながら、ぼんやりとそんな事を思ったエドは、小さく笑った。
 もしかしたら、このまま眠れるかもしれない。
 なんとなく、そんな風に思えて、エドは受話器を下ろそうとした。ちょうどその時、ぷつっと音がして、回線が繋がった。
「えっ? なんで――」
 まさか、繋がるはずなどないと思っていた電話が繋がり、エドはギョッとしたように声をあげた。
『――その声は、鋼の、か?』
 名乗る前に、そんな声が受話器から聞こえて、エドは取り落としそうになった受話器をしっかりと握りなおして「あ、ああ」っと言った。
『どうかしたのか? こんな夜中に』
「……大佐こそ、まだ、仕事してたのか?」
『ああ。片付けなければならん書類が山積だったのでね』
 それは、日頃、あんたが仕事をしないからだろ――。そんな思いがエドの脳裏を過ぎったが、口には出さなかった。そんなエドに、電話口の向こうのロイが苦笑しながら言った。
『……どうも調子が狂うな』
「へ?」
『いや。こちらの話だ。何か、急用でもあったのか?』
「そういう訳じゃないけど」
『ならばなんだ? 私の声が聞きたかった、とか?』
「ばっ、そんなわけねぇだろっ!」
 思わず叫んだエドに、ロイはくつくつと笑いながら『冗談だよ』っと言った。その様子は、いつものロイのもので、エドはふんっと鼻を鳴らして言った。
「まさか、いるとは思わなかったんだよ……」
『いないと分かっている人間に、電話を掛けても意味がなかろう?』
「……」
 思わず、どう切り替えして言いのかわからなくなって、エドは、沈黙を返した。
『鋼の?』
「あのさ。謝ろうと思って」
『何をだ?』
 分からないというように言ったロイに、エドはううっと唸り声を上げた。そして、しばしの沈黙の後、決まり悪そうに口を開いた。
「あんたには、関係ない、なんて言って――」
『ああ。その事か。そんな事を気にしていたのか?』
「そんな事ってなあっ!」
『そう、いきり立つな。第一、今更だろう? それくらいの科白なら、鋼のの口から何度聞いたかわからんぞ』
「そうだけど……」
 返す言葉が見つからなくて、エドは言葉を濁した。
 そんなエドに、電話口のロイがくすりっと笑い声を漏らして言った。
『今度は、いつ戻ってくる?』
 昼間には聞けなかった、その言葉。
 その言葉を耳にした瞬間、ふっと、肩の力が抜けた。
 この一言がなかったことが、眠れないほどの不安を呼んでいたのだろうか。
 あまりにもばかばかしくて、エドはがしがしっと頭を掻きむしった。そして、いつもの答えを口に乗せた。
「まだ、わかんねぇよ」
 そんなエドの答えに、ロイは小さく息をつくと言った。
『定期報告くらいは、入れるように。――皆が心配する』
「分かった」
『まあ、あてにはしておらんがな』
「いちいち、むかつくヤローだなっ!」
『元気なようだな』
「へっ?」
『いや。なんでもないよ』
 わけの分からないロイの言葉に、エドは首を捻りながら、ついっと空を見やった。
 相変らず、月は厚い雲の中に隠れていて、その姿を見せてはいなかった。
「大佐はまだ、仕事すんのか?」
『いや。ちょうど、帰る所だったからな』
「ふうん。ま、いいや。じゃあ、また、な」
『ああ。また』
 そんなロイの言葉に、エドは満足げな笑みを浮かべながら、電話を切った。
 空の雲は晴れていなかったけれど、エドの心中に巣くっていた不安は、きれいに晴れ渡っていた。








END

2004/09/28UP










 久々のお題です。
 「さよならを告げた夜に」です。が。何が、さよならなのかは、突っ込まないでください。お願いします<(_ _)>
 かなり、お題からは外れているような気もしないですが、一応ロイエドです。誰がなんと言おうと(笑)